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福岡家庭裁判所久留米支部 昭和47年(少)1193号 決定 1972年9月29日

少年 S・E(昭三四・一・四生)

主文

少年を教護院に送致する。

少年に対し、通算一八〇日を限度として、逃走防止設備のある特別の施設に収容し、その行動の自由を制限する強制的措置をとることができる。

理由

(非行事実)

少年は昭和四七年九月六日年後四時三〇分ごろから同日午後五時五分ごろまでの間に、久留米市○○××番地○ニ○ド久留米店において同店店長○上○一管理にかかるナップサック一ケ、スカート二着、ベスト一着、シャツ一着、指環三ケ、およびイアリング二ケ(時価合計一〇、五九〇円相当)を窃取したものである。

(適用法令)

刑法第二三五条(少年法第三条第一項第二号)

(主文掲記の処遇に付する理由)

1  併合にかかる本件中、昭和四七年少第一一九三号は同年九月一三日触法少年として少年法第三条第二項により、昭和四七年少第一一八七号は、同年九月七日強制的措置申請として児童福祉法第二七条の二少年法第六条第三項により、いずれも福岡県久留米児童相談所長から当庁に送致を受けたものであるが、その強制措置申請の理由の要旨は以下(1)ないし(3)記載のとおりである。

(1)  本少年は小学校六年生当時の昭和四五年一〇月二一日城島警察署から窃盗触法児として通告されて初めて当所(福岡県久留米児童相談所をいう。以下同じ。)に係属し、以後児童福祉司による指導を続けてきたものであるが、最近学校が夏休みに入つて以来、再三にわたつて自宅から金品を持ち出して家出をし、右家出の間に特別少年院退院者で現に不法監禁、傷害の罪で執行猶予中の素行不良の男友達と肉体関係を結ぶなど急速に生活に乱れが見え始めたため、親の手に負えないと実母から相談を受け、昭和四七年八月二一日当所で一時保護の手段をとつたものである。

(2)  しかるに少年は同年八月二七日に至り、他児二名を誘つて当所から無断退所し、しかも右無断退所に際して、久留米市内から福岡市内まで利用したタクシーを乗り逃げし、更に博多駅から夜行列車で東京に赴かんとしたものであるが、幸いにこれは同列車中で補導して連れ戻した。

(3)  ところが少年は、同年九月六日にも再度単身当所を無断退所し、久留米市内において別件触法送致の窃盗(併合にかかる昭和四七年少第一一九三号である。)を敢行したものであつて、以上の少年に対する指導、保護の経過に徴すると少年に対しては、その保護、教護上強制的措置の必要が痛感される。

2  本件調査、鑑別、審判の結果および本少年に関する福岡県久留米児童相談所の児童記録票によれば、以下(1)ないし(6)の各事実が認められる。

(1)  触法前歴等

少年は小学校六年生当時、近隣の家に忍び込み空巣数件を働いたりしたため、昭和四五年一〇月二一日所轄警察署から福岡県久留米児童相談所に通告され、以後同児童相談所児童福祉司の指導を受けてきたが、その後中学校に進学後もあいかわらず、学校内で級友から現金を盗むなどの非行が絶えず、同児童相談所に再度触法少年として通告されるに至つたため、同児童相談所と中学校側が相協力して、更に指導を継続強化し、一時は得意な陸上競技の練習に打ち込むなど経過良好の如く見受けられていた。

(2)  Aとの交際の始まりと家出

少年は昭和四七年七月二〇日ごろ遊びに出かけた途中、久留米市内で氏名不詳の一不良少年と行き合つて意気投合し、同市内のゴーゴーホール「ロマンチカ」で踊つたりして遊興した挙句、同人ら仲間の運転する車に乗せられて福岡市内の同人らの溜り場に導かれ、そこでAと知り合い、同人と始めて肉体関係を結んだ。

以後少年は右Aの甘言を盲信して同人と起居を共にし、遊びまわつていたが、無断外泊を心配した実母らの捜索の結果、一旦自宅に連れ戻されたものの、右Aからの呼び出しの都度駅等で待ち合わせては同人と共に勧楽街や遊戯施設等を遊びまわつたり、情交関係を結ぶなどしていた。

その間同年七月二五日より三日間、同年八月一七日ごろより五日間位は無断外泊して右Aとホテル等で起居を共にしたりしている。

(3)  Aとの交際の危険性

Aは現在二四歳であるが、一五歳当時から暴行、恐喝、強姦致傷等の事件を次々と起し、中等、特別の各少年院に送致された前歴を有するほか、成人後も不法監禁、傷害の罪名で懲役一〇月執行猶予三年に処された前科を有し、現に執行猶予中であり、竜の刺青をいれているなど暴力団員との交際もあると疑われる男である。しかも同人は少年の言によれば、常時ヒロポン注射を施用しているなど、ヒロポン中毒者と考えられ、少年が家出時に身につけていた母の情夫の持物である高級腕時計を質入れして、ヒロポン注射代に充てたことすらある。

又、少年はAと交際中に同人や同人の友人の勧めによつて五、六回にわたり自からもヒロポン注射を試みたり、左胸に刺青を入れるための下書きとしてボタンの花を形どつたペインティングを施すなどしている。

しかるに少年は、あさはかにも右Aを自分に優しくしてくれる人としてのみ理解し、同人に対し盲信もしくは盲愛ともいうべき思慕の念を寄せており、審判の席上でも「Aさんを愛している。」「Aさんの現在の居場所は知つているが、ここではいえない。」などの供述がみられたほどである。

(4)  暴力団○○組との交際

少年は更に右Aと交際の始まつたころから、久留米市の組織暴力団○○組員やその情婦らが多数居住したり出入りする通称○○荘(又は○ン○荘)と称するアパートに足繁く出入りしており、次の事実と併せ考えると少年はヒロポン(少年はこれを施用者間の隠語によつてアンポンタンとも称している。)の密売組織ともなんらかの交渉を有しているものと疑われる。即ち、少年は前に家出先から自宅に帰つた際、ヒロポン粉末と外見の酷似した味塩の破砕粉末をビニールの小袋に入れたものを携帯していたことがあるが、少年の言によれば右の味塩入りの薬包は密売者間に信用のない客がアンポンタンを求めて来た際に売りつけるためのものであり、少年はこれを○○荘の部屋から持つて来た由である。

なお、この○○組との交渉は右Aを介して生じたものであることは想像に難くないところである(もつとも少年はAと○○組との関係の存在は強く否定している。)。

(5)  児童相談所に一時保護中のAとの連絡、同所からの無断退所等少年の大胆な行動性

少年は前掲の如き行動の結果、同年八月二一日福岡県久留米児童相談所に一時保護されたけれども、同所に出入りする出前持ちを懐柔し同人を通じてA宛に手紙を発信し、同人からの返信も同じ出前持ちを介して受けとるなどして右Aと連絡をとり合つたりしたうえ、同年八月二七日には同所で保護中であつた他の男児二名を誘つて同所裏口から逃走し、久留米市内から福岡市内までタクシーを利用しながら同タクシーを乗り逃げし、更に博多駅から夜行列車で右Aが居ると思われる京都(少年は東京ともいつている。)に赴かんとしたけれども同列車中で小倉において発見補導され、再び同相談所に保護された。しかるに少年は同年九月六日再び同相談所から無断退所し、その足で前認定のとおり久留米市内のスーパーマーケットで万引を敢行している。

(6)  少年の性格特性と問題点、家庭環境等

少年の実母は少年の出生後まもなく少年の実父の不貞行為を理由に同人と別居し、少年が三歳ごろ正式に同人と協議離婚し、以後、寿司屋を営み少年を養育してきたものである。しかしながら、同女はやや奔放なその性格から男出入りも少なくなく、二年程前からは妻子のある男性を同居せしめて、これと同棲している。少年は同人の出現により実母の自己に対する愛情を奪われたように感じ、ただでさえ実母の情夫に反感を懐いているところに、同人は少年に対し、その行動、服装等にやかましく干渉するなどしたため、少年は同人に対し強い拒絶感、不信感を懐くに至つている。しかし、少年の実母は右のような少年の心理に対する理解を欠き、少年よりもむしろ情夫の関心を惹くことにかまけており、そのため少年は償われることのない家庭への愛情欲求不満から情緒不安定、いこじで内閉的な性格傾向を呈しており、家庭に対する離反意識や不良交遊関係への親和と埋没の傾向すら看取されるに至つている。

3  以上の事実および前認定の窃盗の触法事実に徴すれば、少年は現在無自覚のままに後もどりの出来ない悪と日陰の社会に急速に踏み込もうとしているものと断じうるのであつて、現時点で少年を教護院に収容して、これに公的保護を加えることは緊急の必要事と判断される。しかるところ、一般の開放的施設の教護院では前認定のような少年の大胆かつ巧妙な行動性とAに対する盲従性からして自発的に又は同人からの指示連絡に従い、教護院から無断退出して悪の社会に身を投じかねないことは容易に予想されるところである。従つて、少年を教護し、感化改善の実を収めるためには、少年に対しその教護上、行動の自由を拘束する強制的措置を加える必要の存することは十二分に認められるところであり、その期間も通算して一八〇日を限度とすることが相当である。

4  以上のとおりであるから、少年法第二四条第一項第二号、同法第一八条第二項により、主文のとおり決定する。

(裁判官 須藤浩克)

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